Italian Trend
2026年4月
イタリア料理界においても「シグネチャー ディッシュ」という言葉が使われる様になったのはいつ頃からだろうか?少なくとも80年代マルケージ全盛の頃には「スペチャリタ」という言葉が一般的だったが近年イタリアでもトップシェフやジャーナリストたちは「シグネチャー ディッシュ」という言葉を使い、特にイタリア料理の存在証明でもあるパスタが「シグネチャー ディッシュ」であることが多い。今回はトップシェフたちが考える「シグネチャー パスタ」を紹介したい。まずはマッシモ・ボットゥーラの「ラ パルテ ピュウ クロカンテ ディ ラザニア」。5人兄弟の末っ子だったボットゥーラは、いつも祖母が作ったラザニアのよく焼けた部分をつまみ食いしていたという思い出に由来する。ベシャメルとラグーを分解し、イタリア国旗をかたどったラザニアにディップして食べるこのパスタは、世界のどこで食べたとしても、イタリア料理であることを強く感じさせてくれる。
マルケージといえばその流れを今も強く打ち出しているシェフのひとりがダヴィデ・オルダーニだ。 80年代のマルケージの名作には現代アートにインスピレーションをえた料理が多い。ジャクソン・ポロックをイメージした「ドリッピング」やカンディンスキーに題材を得た「ロッソ エ ネロ 赤と黒」などがあるが、おそらく最も有名なのが「黄金のリゾット」だろう。これはミラノ風リゾットに日本の金箔を乗せたウルトラ ミニマルな料理で過去のイタリア料理への決別宣言でもあった。オルダーニはこのリゾットのパスタ バージョン「スパゲッティ カチョ エ ペペ アル カルトッチョ」へと昇華させた。カチョ エ ペペを銀箔で包み込み、包みを破くとえもいわれる香りが立ち上る。金箔でなく銀箔を選んだのは、マルケージに対するオルダーニの謙虚の念の現れなのだろう。
「ビザンチンの贈り物 スパゲッティ タラタタ サルサ モレスカ」はシチリアの雄、チッチョ・スルターノがシチリアの歴史を一皿の中に込めたパスタだ。シチリアはかつてさまざまな地中海文明が交差したメトロポリタンであり、いまもビザンチンの面影が島のあちこちに残る。ボッタルガとレモンで作るサルサ モレスカとはヴェネト地方ではビーゴリによく使われるソースだが、チッチョはシチリア特産のマグロのボッタルガを用いてビザンチンが色濃く残るヴェネツィアとシチリアンの融合をパスタで表現した。レモン以外にさまざまなハーブ、サンブーコ、ローザ カニーナ、人参のジュースを加えたソースは甘さと塩味の強いコントラスト、複雑な香りがシチリアの情景を思い出させる。ちなみに「タラタタ」とはサラセン人がシチリアに上陸した時、自ら剣をとって異教徒と戦ったルッジェーロ1世の剣の音に由来し「戦い」や「大混乱」という意味がある。日本語なら「チャンバラ」に相当する言葉だろうか。
その奇抜なインパクトで他者を圧倒するのがリッカルド・カマニーニの「リガトーニ カチョ エ ペペ」だ。これは豚の膀胱にパスタとソースを詰めて湯煎で調理したもの。カマニーニいわくこれはローマ時代の羊飼いの調理法が起源で、テーブルには熱せられて風船のようにふくらんだ豚の膀胱がしずしずと運ばれてくる。サービススタッフがナイフを入れると膀胱風船の中からカチョ エ ペペが豊かな香りとともに現れるというプレゼンテーションだ。シェフの側から見れば調理の途中でパスタの湯で加減を味見することができない、いわばブラインド料理なので出来栄えは毎回微妙に異なるのだが、カマニーニは「それが料理というもの」と語ってくれた。
最後に紹介するのが「ダ ヴィットリオ」のシグネチャー パスタ「パッケリ ダ ヴィットリオ」だ。創業者のヴィットリオ・チェレアが始めたレストランは、その息子エンリコ・チェレアの代で3つ星を獲得したが50年間今も変わらずに作り続けているのがこのパスタだ。ダ ヴィットリオではさまざまな技巧と趣向を凝らした料理が続いたあとにこのパスタが登場し、キッコことエンリコ自らがサーブして取り分けてくれる。トマト、パルミジャーノ、バジリコ、唐辛子というシンプルだが食べ飽きない味は3つ星を獲得したとはいえ未来永劫変わらない「ダ ヴィットリオ」の象徴である。なにも足さない、なにも引かない。シグネチャー パスタとは創り出すのではなく、作り続けることで生まれる料理だという真実を再認識させてくれるパスタだ。
Photo&Text MASAKATSU IKEDA (ITALIAN WEEK 100 Director)